民主主義を応援するポータルサイト

民主主義ってなんだ?民主主義ってなんだ?

日本国憲法は「押しつけ」だった?

kenpo2

今年、70歳になった日本国憲法。「憲法を変えよう」と主張する人たちがよく言うのが、「GHQが作った押しつけ憲法だから、日本人が作った憲法に変えなければ」ということです。特に自民党は結党以来「自主憲法制定」を掲げてきましたし、憲法を率先して守るべき安倍首相も「みっともない憲法」だと発言しています。
本当に日本国憲法は「押しつけ」だったのでしょうか?そして、なぜ多くの政治家が、このことにこだわるのでしょうか?

 

今の憲法はアメリカの押しつけ?

占領下でできた日本国憲法

1945年8月、日本は戦争に負けてポツダム宣言を受諾しました。そこには、日本の武装解除、「民主主義的傾向の復活」、「基本的人権の尊重」、そして「国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力の除去」などが定められていました。それで、それまでの軍国主義を否定した、新しい憲法を作ることが必要になりました。

その年の10月、内閣は憲法問題調査委員会(委員長・松本烝治)を設けます。やがて彼らが新憲法の案を作るのですが、翌年2月1日、毎日新聞がその案をスクープ。GHQ(連合軍総司令部)はその保守的な内容に驚き、自分たちで草案を作ることにします。GHQ民政局は、民間の憲法研究会の「憲法草案要綱」などを参考に、わずか9日間で草案を作成。2月13日、GHQは松本委員会試案を拒否し、GHQ草案を日本側に示しました。(参考:国立国会図書館「日本国憲法の誕生」)こうしてみると、たしかに草案作成のプロセスについて日本政府VS米国政府という構図で考えれば、GHQは日本政府案を拒否し、自分たちの作った草案を「押しつけ」たと言えそうです。

しかし実は日本政府の松本試案は、日本国民の多くの思いを反映したとは言えないものでした。毎日新聞にスクープされた松本試案は、天皇主権など大日本帝国憲法の骨格を残しており、各新聞から「保守的・現状維持的」だと批判されました。というのも、松本烝治は戦前に満鉄副総裁や商工大臣を務め、戦争を推進した支配層の一人。彼がまとめた試案は、戦前の支配層の価値観が色濃く残ったものだったのです。当時、多くの国民はもう戦争はこりごりだと思っていたし、窮屈な戦時体制にうんざりしていました。そして民間では憲法研究会の草案はじめ、国民主権を掲げた多くの憲法草案が作られていたのです。松本氏の試案はそんな国民一般の空気とはズレており、日本が受け入れたポツダム宣言の趣旨にも合わないものでした。

国民への“押しつけ”だった大日本帝国憲法

そもそも、実は戦前の大日本帝国憲法こそ、国民への「押しつけ」でした。大日本帝国憲法は、明治維新に関わった伊藤博文ら一部の政治家が草案を作成。まだ選挙で選ばれた議会がなく、国民の意思が反映されないまま、天皇の名で公布されたのでした。つまり、維新政府の中枢=支配層が一般国民に押しつけた憲法だったのです。(ちなみに教育勅語なども、支配層から国民への押しつけでした)

それに対して日本国憲法は、草案はGHQが作ったものの、帝国議会(衆議院)にかけられました。その衆議院議員が選ばれた1946年4月の総選挙は、戦争体制を支えた大政翼賛会が解散し、共産党も合法化され、さらに女性にも初めて投票権が与えられて行われた選挙でした。国民の幅広い思いを代弁する議会で審議・修正され、可決された、初めての憲法だったのです。通常、法案の多くは官僚が作りますが、国会で議決すれば国の法律になります。誰が草案を作ったかに関わらず、国会で議決されたのですから、日本国憲法こそ、日本国民が作った憲法だと言えるでしょう。

process.001

9条「戦争放棄」の発案は日本側から

さらに最近の研究では、GHQ草案も、天皇や日本政府の意向を踏まえて作られたことがわかっています。例えば憲法9条の平和主義は、1945年9月4日の天皇の勅語の「平和国家の確立」という言葉を受け、1946年1月に幣原喜重郎首相が「戦争放棄・戦力不保持」条項を加えるようマッカーサーに発案したのでした。アジアの暴れ者だった日本の非武装化は連合国に歓迎されましたが、それは戦争に懲りた多くの日本人の思いの表れでもあったのです。(2017年5月放送「NHKスペシャル “平和国家”はこうして生まれた」

こうして見てくると、日本国憲法は「GHQが草案を作成した」という点に着目すれば「押しつけ」とも取れるでしょうが、「民間の草案など、さまざまな日本人の意見が盛りこまれた」点や「国民の代表である議会で審議・修正を行ない、正式な手続きを踏んで公布された」点を見れば、「押しつけではない」と言えそうです。つまり「押しつけ」かどうかは、「どうとでも取れる」話だといえるでしょう。

※ちなみに自衛隊も、実はアメリカの押しつけで作られました。1952年に朝鮮戦争が始まると、在日米軍を出兵させるため、GHQは日本に「警察予備隊」を作らせ、これがのちに自衛隊になったのです(その中心になったのは、戦前の帝国陸海軍の出身者たちでした)。でも、日本国憲法を「押しつけ」と言う自民党も、なぜか「自衛隊は押しつけだからなくせ」とは言いません。

 

なぜ「押しつけ憲法」と言う人達がいるの?

戦前の旧支配層が言い出したこと

「押しつけ憲法」という言葉は、かつて自分の草案を拒否された松本烝治が、後になって言い出したものです。そのことでわかるように、日本国憲法を「押しつけ」と受けとめた政治家の多くは、かつて戦争を押し進めた支配層の流れをくむ人たち。彼らがそう考えたのには、明治以降の日本の歴史が関わっています。

日清戦争(1894)以来、日本はほぼ10年ごとに戦争を繰り返し、アジアを植民地化していきました。(ちなみに今の中国は「拡張主義だ」と言われますが、当時の日本のように戦争で領土を拡大し続けているわけではありません…と書くとチベット侵攻はどうなんだと言われますが、歴史的に中国にとってチベットは国内に準じる地域と思われてきた背景があります。もちろん許しがたいことですが、日本が明治になって沖縄や北海道を「編入」したのと同じ感覚でしょう)明治維新後、日本は天皇主権を定めた大日本帝国憲法の下、欧米の真似をして富国強兵を目指しました。そして「東亜(東アジア)の解放」「八紘一宇」といった理想を掲げ、市場や資源を求めて庶民を戦争に駆りだしていきました。その結果、台湾、韓国、満州、中国、東南アジアと、言葉も通じない人たちが暮らす地域をどんどん支配下に置いていったわけです。

japan2

そうした日本の拡張政策の舵取りをしていたのは、明治維新というクーデターで天皇を担いで政権を取った、薩長勢力や財閥など限られた人たちでした。(例えば安倍首相の祖父・岸信介も長州出身の高級官僚で、満州の産業振興政策を仕切っていた)

そうした明治以来の拡張路線が挫折したのが、1945年の敗戦でした。それまで天皇をお神輿のように担ぐことで国を動かし利権を手にしていた支配層は、敗戦によってアメリカの軍門に下り、多くを失いました。東京裁判による戦犯の処刑だけでなく、財閥の解体、戦争犯罪者や旧軍人などの公職からの追放、農地解放などのGHQの政策で、彼らは権力や財産などの既得権益を失ったのです。彼らにとって、あの戦争で負けたことは「特権を失った屈辱的経験」でした。天皇主権の大日本帝国憲法から国民主権の日本国憲法への転換は、その屈辱の象徴だったのです。

同じ敗戦国のドイツでは、旧ナチスの関係者は社会の中枢から追いやられましたが、日本ではそうはなりませんでした。天皇はじめ戦前の支配層を残し、占領政策に活用しようとアメリカが考えたからです。そのため、安倍首相や麻生太郎財務相、世耕官房副長官など、自民党には戦前の支配層の子孫がたくさんいます。彼らの多くが今、改憲運動を主導する右翼団体「日本会議」に参加しています。おそらく彼らには、「失った特権を取り返したい」という思いがあるのでしょう。

しかし一般国民にとって、「あの戦争」は悲惨な体験でしかありませんでした。多くの庶民が戦争で夫や息子を失ったり、空襲で焼け出されたりして、人生を滅茶苦茶にされました。そして彼らは、敗戦とともに軍国主義の洗脳から解き放たれ、ようやく「自由」を手にしたのです。多くの庶民にとって、敗戦は、辛く窮屈な戦時生活から、貧しくても自由で夢や笑いのある世の中への転換・解放であり、日本国憲法はその象徴だったのです。

整理すると、こんな感じです。

sengo

日本国憲法では初めて国民が国の主人公になり、「国民主権・基本的人権・平和主義」という3原則は広く国民に支持されました。国民の支持があったからこそ、今まで改正されずに来たわけです。しかし、戦前の支配層の流れをくむ人たちは、戦前の体制に郷愁を覚え、失った特権を取り戻したいと、改憲を主張し続けてきました。「みっともない憲法」という安倍首相の言葉はおそらく本音でしょうが、立場の違う私たちまで、それに付き合う筋合いはありません。

atarashii

文部省「あたらしい憲法のはなし」(1947年)より

アメリカの政策変化も背景に

もう1つ、「押しつけ憲法」論が言われるようになった背景には、「逆コース」と呼ばれたアメリカの対日政策の変化があります。アメリカは当初、日本の「民主化・非軍事化」を進めており、日本国憲法はその成果の一つでした。しかしソ連との冷戦が次第に激しくなり、1949年頃から、日本をソ連や中国など共産圏に対する軍事的な防波堤として利用しようと考えるようになります。そのため、日本に警察予備隊(後の自衛隊)を作らせ、社会主義運動を取り締まり、公職追放を廃止し、日米安保条約を結ぶなど、日本国憲法の精神とは矛盾するような政策を打ち出したのです。松本烝治はじめ日本の有力者たちが「押しつけ憲法」論を言い出すのも、こうしたアメリカの政策転換が背景にありました。彼らとしては、アメリカとの軍事同盟をしっかり保っていれば、憲法の3原則(国民主権・平和主義・基本的人権)を軽んじてもアメリカには怒られないと思うようになったのでしょう。

「押しつけ憲法」論の背景にあるこうしたいきさつを、主権者である私たち一般国民がしっかり見抜き、その上で、私たち自身が日本をどんな国にしていきたいのかが、いま問われています。

 


年表

<1945年>
10月11日 マッカーサーが幣原首相に「憲法の自由主義化」を示唆
10月25日 幣原内閣が憲法問題調査委員会(松本委員会)を設置
12月26日 民間の憲法研究会が「憲法草案要綱」を発表(GHQスタッフも関心を寄せ、参考にした)

<1946年>
2月1日     毎日新聞が「松本委員会試案」をスクープ
2月3日     マッカーサーが民政局にGHQ草案の作成を指示。
2月13日   松本委員会「憲法改正要綱」をGHQが拒否、日本側にGHQ草案を手渡す。
3月6日     日本政府、GHQとの協議に基づいた改正要綱を発表。
4月17日   日本政府が「憲法改正草案」を発表。
6月20日   帝国議会に改正案を提出。
11月3日   日本国憲法を公布。

国立国会図書館の年表を元に作成)

テーマ

関連記事